与信管理の重要論点


【1】まん延する「簡単化」に潜む危険な「全体主義」思考

 

与信管理の世界に危ない「全体主義」の思考がまん延している。

 

与信判断や与信限度額設定の「自動化」、取引先のリスク評価や格付の「外部依存」などがこの傾向の証左である。

 

取引の可否判断を自らの意思と責任で行わない企業は、もはや自由主義国における経済活動体とはいえない。

 

相手との取引における信用リスク、法的リスク、レピュテーションリスクなどを、自ら「主体的」に評価して行動し、その責任を負うのが我々自由主義経済の原理だ。

 

こうした自由主義の原理に反し、外部主体が作成する「信用評点」や「与信限度額(と称するもの)」に依拠して判断を行おうとする発想。

 

この安易な「手抜き発想」の行きつく先は「社会信用スコア」の世界である。

 

「国家」が社会全体の秩序維持を名目に個人や企業を評価する。なるほど確かに取引相手を見極める手間が省けて効率的だ。各企業(ユーザー)は与えられた評価に依存して(洗脳されて)取引を行えばいい。楽だ。楽だからユーザーもこのシステムを受容する。

 

だが、何故国家がそうした評価制度を作るのか?よく考えるべきだ。こうした仕組みは自由主義の原理に明らかに反している。

 

社会信用スコアは極論であるが、外部調査会社等の「評点」をそのまま鵜呑みにして与信管理・取引先管理を行うような運用は主体性に欠ける。

 

まともな企業は自社としての主体的な判断基準、すなわち取引先に対する独自の「社内格付」を整備している。

 

中小企業では無理かもしれないが、相応の大企業で取引先に対する「社内格付」が整備されていないような企業は自由主義国における一流企業とは呼べない。自分で考え判断する機能を備えていないからだ。

 

与信管理においては、必ず「自社としてどう判断したか」の「人間」の判断プロセス(手間)を介在させなければならない。いくら面倒でも自由主義国において活動する企業にとって欠くことのできない工程だ。

 

この手間を省きたいなら全体主義の国だけでビジネスをすればいい。主体性を捨てて全部他人に決めてもらえばいい。そのほうが楽だろう。お望みどおり自動化・効率化が達成できるではないか?

 

主体性なき与信管理の「自動化」「簡単化」の先に全体主義の赤い影を感じるのは筆者だけだろうか。

 


【2】手抜きの与信限度設定なら無い方がいい

 

 

与信限度額の設定は会社を守る極めて重要なプロセスだ。

 

それを「簡単に」「お手軽に」設定しようとするから、意味の分からない創作式が登場し、本筋からズレた「役に立たない与信管理」に陥ってしまう。

(参考コラム→ 俗説の与信限度額を斬る

 

企業存続の根幹業務を手抜きしてはならない。

 

手抜きで設定した与信限度額ならむしろ無いほうが安全だ。手抜きで設定した与信限度額が「形骸化」し、潰れた会社もある。

 

与信限度額の形骸化がなぜ起こるか?

 

それは、いい加減に設定した与信限度額は「どうせテキトーに設定したんでしょ。目安程度だよ」といわれ社員にナメられるからだ。

 

こうなると誰も与信限度額を守らなくなり、与信マインドが全社的に弛緩し、与信管理は崩壊する。

 

そういった会社は「危ない会社」として周囲から警戒されるだろう。

 

与信規律とは、与信限度設定をいかに真摯にやるか?ということだ。

 

与信限度額が「テキトーなもの」とナメられないためには、しっかりとした設定根拠・詰めのプロセスが必要だ。

 

今一度、自社の与信限度額の設定方法を合理的に説明できるか再考する時期だろう。

 

安易に「簡略化」「お手軽化」に手を染めて本質を逸脱してはならない。

 

説得力・納得性のない与信限度額ならない方がいい。これだけ不正取引が横行している以上、改めて与信限度額の重大性と本質の理解が必要だ。

 

アクティブ株式会社 泉

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