コンプライアンス実務の悲劇:「法令遵守」は誤訳


 コンプライアンス実務における最大の悲劇は、コンプライアンスに「法令遵守」の訳語を当ててしまったこと。

 

 これは、コンプライアンスの実務家には既に知られた話かもしれない。

 

 

 先般、コンプライアンスに関する検定試験を手掛ける株式会社サーティファイ主催のコンプライアンスセミナーに参加した。

 

 講師であるコンプライアンス実務界の最高権威:郷原信郎氏によれば、コンプライアンスとは「社会的要請に応えること」である。

 

 法令の有無にかかわらず、経済社会がその組織に何を期待し何を要請しているのか。

 

 それに応えることがコンプライアンスである。

 

 「法令に違反していないから良いではないか」

 

 といった法令至上主義では、社会の環境変化についていけない。

 

 法令自体が社会変化にタイムリーに対応していないからだ。

 

 最近起こっている不祥事の原因は、この法令至上主義にあるという。

 

 社会の感覚からズレているにも関わらず、法令に違反していなければそれで良いとする感覚(錯覚)。

 

 そういった誤った感覚を持ってしまう理由は「コンプライアンス=法令遵守」の誤訳にある。

 

 大事なのは、世間が何を組織(企業や政府・自治体)に求めているのか、それを的確に察知し、それに背かない形で運営していくこと。

 

 法令を遵守することは、いわば最低限の義務にすぎない。

 

  

 同セミナーが贅沢なのは、同じ日に、新日本監査法人の専務理事である大久保和孝氏の講義も聞けることだ。

 

 同氏によれば、コンプライアンスの視点とは、つまるところ「お天道様が見ているよ」ということだ。

 

 著名な実務家がここまでかみ砕いてくれると、安心して腹に落とし込むことができる。

 

 両権威の講義を踏まえて、自分なりにコンプライアンスを解釈すれば、すなわちこうだ。

 

 「その行為を子供たちの前で堂々と説明できるか」

 

 仮に、近所の小学生たちが、自分の職場に見学に来たとする。

 

 その子供たちに向かって、自分の仕事を躊躇なく堂々と説明できるか。

 

 純真で正直で遠慮知らずの子供たちに、

 

 「それってズルいじゃん」

 

 と言われかねない行為を行っていないか?

 

 もし、少しでも躊躇があれば、

 

 それは法令に違反しているかどうかに関わらず、コンプライアンス上、議論の余地がある行為で見直した方が良い。

 

  そう考えると、コンプライアンスとは、何も法律の専門家だけの領域ではない。

 

 むしろ社会常識や人としての倫理観、バランス感覚の観点から誰でも判断し、論ずることのできる分野である。

 

 下手な法律知識は、かえって問題を起こしかねない。

 

 つくづく「コンプライアンス=法令遵守」の翻訳は実務上有害無益だと感じる。

 

(アクティブ株式会社 泉博伸)

 

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